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2016年5月

2016年5月 1日 (日)

氷室京介とDreamin'

氷室京介のドームツアーLAST GIGSが開幕した。
今回は初日のセットリストが波紋を呼んで、会場ごとに変化があったり、まだツアーの途中なので、最終的にはどんなセットリストになるのか興味深いところではありますが、とりあえず、オープニングにDreamin'を持ってきたことに、何か感慨深いものを感じた人もいたのではないでしょうか。
もちろん、2011年のチャリティでも同じだったし、ウェブリクエストでも上位にランキングされていた曲なので、決して珍しいことではない。しかし、解散後、2004年のBOOWYS VS HIMUROまで長らく封印していた曲でもあった。
今回は氷室の最後のライブツアーということで、以前にも取り上げたDREAMIN'という曲と氷室との関わりについて、改めて考察してみたくなったのだ。
そもそも氷室京介にとって「夢」とは何なのだろうか。
BOØWY時代には、ただ無邪気に夢を信じているように見えた。
だから、この曲を歌う氷室に違和感はなかった。
ただ、今にして思うと、ソロの氷室なら絶対に書かない詞のように思える。
ソロになってから初めてのアルバムに収録されていた「stranger」は夢を見れない奴のためにとよくMCで語っている。
最近では「50歳を超えた男が声高々と夢を語ることほどインチキくさいことはないでしょ」とも…
バンドを解散する前あたりから、いったい夢って何なんだという疑問が氷室の中に広がりつつあったのではないだろうか。メンバーと一緒に無邪気に頂点を目指してきた時期を経て、いつのまにか布袋は別な夢を見るようになり、解散を切り出した。
そして、氷室自身は新しい夢を見いだせたのか、否か。

解散後、ソロとしての音楽の確立と同じくらいに氷室を苦しめたのは「夢の概念」そのものだったのではないだろうか?
前回、DREAMIN'は布袋の象徴でCLOUDY HEARTは氷室の象徴だと書いた。
いずれもサードアルバム「BOØWY」の1曲目とラストを飾る曲でありながら、解散時にはそれぞれ、解散の二つの側面を象徴するような曲にもなった。
布袋が解散について、どう捉えているかをソロになってから語っている言葉を見てみる。
「解散」はまぎれもなく俺たちの次のステップへの「スタート」だったし ロックンロール・ハイスクールを卒業し 新たな目標に向かって歩き出す社会人一年生のような気持ちだったかもしれない。
一方、氷室の方といえば、冗談めかしながら俺はバンドバツイチ組だからさというような言い方を時々している。
新たなスタートという前向きなニュアンスと、別れの悲しいニュアンス。
それは決して、矛盾するものでもなく、2つで一体のものだと思う。また、布袋にも解散の寂しさや悲しみがなかったわけではなく、氷室にも解散を前向きに捉えてきた部分もあるからこそ、その後のソロ活動を精力的にやってこれたのである。
お互いに、自分とは異なる相手の要素を自分の人生の中に取り込みながら、生きてきたともいえる。
だからこそ、ソロになってから布袋がやった唯一の氷室曲がCLOUDY HEARTなのだとも思う。
氷室にしたところで、今ではもう「夢なんて」と思っているわけでは決してないと思う。
別に、ドームツアーが夢だったというわけではないと思うが、
最後まで、再結成に逃げることなく、ソロとしてしっかりと、たくさんのファンに愛され、惜しまれながら、ステージを去るというこのツアーそのものが、立派な夢の実現だったような気がするのだ。
布袋とは違う形で夢を模索し、生きてきたことの宣言でもあり、「苦しみ」と共にそうした「夢」を与えてくれた、かつての盟友への感謝とエールでもあるのかなと思う。
布袋が、最後のステージで隣でギターを弾きたいと言ったとき、気持ちの不釣り合いを感じた。世間で、布袋の片思いみたいな言い方をされているのを見るのは少々つらかった。
ただ、今回のセットリストを見たときに、決して片思いではなかったんだな――と思った。
捉え方は人それぞれだから、あくまでも個人的な解釈だけど、お互いに全く異なる方法で愛を示しているのだと感じた。
 氷室が今も変わらずにBOØWYを愛していると思った「LONGER THAN FOREVER」の解釈は間違っていなかったと感じた。

I'm only Dreamin'for YOU !

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